プログラミングの素養を育むもの

プログラミングの素養を育むもの

生活になくてはならないコンピュータ。 プログラミング教育も始まりましたが、近い将来、誰もがプログラミング(的思考)でコンピュータを操れるようになるのでしょうか?

プログラミングはなくなるかもしれない

最近はノンコーディングなるツールが出始めています。 特定の条件下ではプログラミングなしにプログラムが組めてしまうようです。 個人的にはMicrosoft Accessを超えるノンコーディングのツールは出てきていないように思いますが、IFTTT のような手軽にサービスを連系させるツールなど、面白いものもあります。

AIが人間の言葉を理解してプログラムを書く試みも始まっており、プログラミングが必要になるのは一部のプロフェッショナルだけ、という時代が来るかもしれません。 まあ、今と変わらないですね。

スマホはダラ見のためのツール

幼い子供にスマホを与えることに対して、ワタシは否定的です。 スマホはTVと同じく広告を見るためのツールであり、創造力を育みません。

子供には自然の中で…とまで言うのは難しいですが、リアルな手触りの中で豊かな感性を育てるべきではないかと思います。

とはいえ完全に禁止するべきと言うつもりはありません。 まだ自制心が十分に発達していない年頃なので、利用時間を親がコントロールしてあげればよいと思います。

養うべきは人間力

テクノロジーの進化って残酷な一面があると思います。 使えるかどうかで生産性に大きな差がつくのです。

そして同じ技術を使いこなす2人の差はゴール設定や段取り手順の差、つまりは本人の力量の差です。 結局 あなたは何がしたいのか が明確であるほどテクノロジーを活かすことができます。

プログラミングの素養、つまりはテクノロジーを使いこなすための人間力を高めるために必要な教育は何なのでしょうか。 ワタシは今の学校教育で十分賄えているようにも思いますし、その一方で教師が目的を伝えきれていないために生徒の中のゴールが明確ではないとも感じます。

国語

自分は何をしたいのか、それはなぜなのかを言語化して正しく伝える力。 また、相手が何をしたいのかを感じて理解し、必要であれば確認する力。 要はコミュニケーション力ですが、カタカナにすると曖昧になって見失いがちですね。

算数

プログラミングの入り口で抽象的な物事を理解するために必要になります。 抽象的な考え方が苦手だと、変数・関数といった概念が理解できないのだそうです。

テクノロジーを自分の目的に応用するための発想は、この目に見えない抽象的な道具を理解してこそ生まれてくるものです。

英語

普段の生活で必要ではない言葉という意味では英語もプログラミング言語も同じです。 そう、プログラミング言語とはプログラムを表現することに特化した「言語」なのです。 そしてプログラミング言語のほとんどが少なからず英語っぽい単語や文法を採用しています。


謝辞
画像は Pixabay 様より使わせていただきました。